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英語のできない奴は外資に行け⑪英語は最後に背中を押してくれる

明日は、卒業式です。今年はゼミに加えて基礎演習を担当した学生も卒業を迎えるので、久しぶりに彼らの顔を見れると思うと楽しみです。4年間ほとんど顔を合わせていなかった学生もいるので、あとで写真を引っ張り出して記憶を整理しておきたいと思います。

さて、今日の新聞によれば大卒の採用が12%増と持ち直してきたようです。一番厳しかったのが、10年~11年ごろで、内のゼミでいうと5期生、今年2年目が終わった人たちが就職活動をしていたころだと思います。その人たちは本当に大変でした。本当に運もありますよね。

同じ新聞の教育の欄に「英語を学べば好きな仕事に、70%」という記事がありました。中学3年生への調査で、「英語を学べば好きな仕事につくのに役立つか」という質問に2003年が47%だったものが2010年には70%になっているとのことです。グローバル化が叫ばれて大分経ちますが、うなずける結果ですよね。但し、「将来、英語の勉強を生かした仕事をしたい」かという質問では、28%で1%減少したそうです。

30数年前の私のことを思うとまさに当たっている気がします。希望していた広告会社に入れず、マーケティングリサアーチの会社に入ったのですが、将来的に英語は必要になるということを思いこんで、1年間の留学に行きました。正直1年の留学では全く使える英語は身につきませんでしたが、おかげさまで念願の広告会社に入ることができました。最初国際部でしたので、まさに、英語を学んだことが活きたと思います。今は、30年前より、英語ができる人も、留学経験を持っている人も増えてきています。ただし、今でも採用担当が最後に迷った時には、こちらの学生にしようというように背中を押してくれる要素ではあると思います。

逆にいえばその程度です。外資系の仕事も同じです。外資系の仕事は英語の勉強を生かした仕事かもしれません。でも結局は私の場合でいえば、広告の仕事ができることがその前提にあったと思います。英語はプラスアルファでした。

でもこの最後に背中を押してくれる何かは今の世の中で結構大切な気がします。CSRが叫ばれ、環境にやさしいをうたい文句にした広告も結構多いですよね。それで商品を買うところまではいきません。でも背中は押してくれると思います。社会貢献している会社の商品のほうがしてないよりは良いですよね。情報が氾濫し、比較情報も多いかもしれませんが、それだからこそ、決断を単純化してくれるものそれが大切になって来る気がします。

外資系で働いていて、このシンプルさは結果重要な気がします。当り前のことをしなければ指摘されますし、わかりにくいことも敬遠されます。言葉の壁もあったかもしれません。英語に限らず、相手が何か背中を押されるような何かを持つように、心がけてはどうですか。そんな人が外資系には向いている気もしました。

就活に限らず、「背中を押してくれるもの」の研究も面白いかもしれませんね。

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英語ができない奴は外資に行け!⑩外資では仲間を作れ。

このテーマについてはあまり書いていませんでした。特にこれといった理由はないのですが、自分の周りにそれに関連することがないと思いださないものですね。因みにこのシリーズ、本当は今回が9回目のようですが、8回目を飛ばしてしまいました。すみません。

さて、金曜日東京に行き、MBAに通っていた頃の友人と会いましょう。もう20年も前の話ですし、今回20年ぶりにあう友人もいました。たまたまFacebookで連絡がとれ、参加してくれたのですが、Facebook恐るべきという感じです。その20年ぶりに会った彼ですが、MBAに行かれた頃はソニーにおられテレビの仕事をされていました。その後6年ほどソニーのイギリスで仕事をされて、日本に戻られ、外資系の会社に転職をされているようです。給料は良い良いようですが、仕事はそれなりに大変なようです。以前は海外出張も多かったようですが、今はテレビ会議システムが増え、かなり不規則な時間にも会議があるようです。

今でも書類の2/3位は英語だそうですし、英語はかなりの頻度で使われているようです。私が勤めていた会社とは大分違う感じです。私はおおよそ15~6年は外資系の広告会社に勤めていたと思います。外資系の広告会社は少し通常の企業とは違う環境でした。一番大きなポイントは、それほど英語ができない人でも社員として働いているという点です。なぜならばクリエーティブ部門やメディア部門などでは、必ずしも帰国子女のような人ばかりを集めるわけには行かないからです。英語よりはクリエーティブの力、あるいはプランニング能力が重視されます。その代り、かなり優秀な通訳の方が何人かいました。その人たちは、広告の知識が豊富で、すごい人は、訳している間にある程度次の話を考えて訳してしまうということまでしていました。

営業部門の人間はそれなりに英語力は要求されます。ただし、前にも書きましたが、急に人手が必要になり、それも若手ですぐに広告の現場をこなして欲しい場合にはある程度英語力は目をつむって採用をしてくれました。まさしく私の場合ですが、それで広告の仕事もできなければすぐに首ですが、そこそこ普通にやっていればどうにかなるものでした。

前述したとおり、通訳の人がいますので、書いたものは英語のチェックはしてもらえました。また、必ずチームに一人くらいはネイティブな人もいるので、会議で複雑な時でもどうにか対応ができます。プレゼンは自分が書いたものを話せばよいのですが、問題は質問を受けたときです。複雑で込み入ってくるともうどうしようもないことも多くありました。おおよそ上司は外人の場合が多いので、クライアントのトップの外人と勢いで話し始めると、とてもついていけません。

プレゼンで私に質問がある場合には、外人の上司に視線を送ると結構答えてくれる感じでした。でもその代り、事前の打ち合わせでは、とにかく伝わるかどうかは別として、その上司の外人ときちっと話し合いをしていたことは間違いありませんでした。後半、私もそれなりのポジションになっていた頃には、かなり喧嘩のような話を、二人で会議室や自動販売機の前でやっていた記憶があります。私の英語がやたら早口になってしまったのも外人の上司に言い負けないようにしてためかもしれません。

ということで、外資系の広告会社では、思ったよりも英語で助けてくれる仲間が多くいるのも事実だと思います。その人たちと日ごろから仲良くしておく必要はありますが、それは英語力より、人間性がものをいってくるのも事実です。

今日は、この辺にして、次回からはもう少し具体的な思い出を書いてみたいと思います。

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英語ができない奴は外資に行け⑨外資の採用ステップ

昨日は、かみさんのお稽古ごとの発表会で東京に行ってきました。エレキギターをやっているのですが、50近くになって始めた割には結構うまく、また本当に楽しそうなのでうらやましい限りです。

さて、前回に引き続き、外資系広告代理店の採用について書きます。特に途中入社に関してです。前回にも書きましたが、外資系広告代理店では、ヘッドハンティングの会社を使うことが多いと思います。実際に決まった場合には、年収の何十%というように何百万円かのお金をヘッドハンティングの会社に支払うわけですが、良い人材を短期間で確保するためには仕方がない判断で私も使っていました。

その大きな理由は、すでに広告の経験があり、特に外資系のクライアントに対して即戦力として使える人材はさほど多くはないということです。P&Gやユニリーバといった企業の担当をしていたといえばそれだけでもステータスになるはずです。これらの人で、本当に優秀な人は現状の仕事でも評価されているわけで、自分から仕事を探すようなことはしないわけです。逆に自分から応募をしてくるような人は、現状に不満があるか、逆に仕事ができず今の会社で評価されていない可能性があります。ということで、ヘッドハンターの人に説得してもらうわけです。

ヘッドハンターを使わず、公募をする場合、私がまずとらなかったのが、現職を持っていない人です。何らかの事情で、前職をやめており、現在無職の人は、何か問題を抱えているか、あまり堪え性がないと判断するわけです。そのような人の場合、採用してもまたすぐにやめてしまう可能性があるわけです。もちろん留学から戻られたばかりというようにちゃんとした理由がある場合には、さほどのハンデにはなりませんが。それも若いうちだけです。

私は、2個目の大学院を修了したのが40歳ごろでした。生まれて初めてこちらからヘッドハンティングの会社に連絡を取ったのですが、先方の答えは「あなたのキャリアは素晴らしい、ただし現職がないと紹介できない。どこでもよいので、まずどこかに勤めてください。そうしたら紹介しますので」ということでした。実際、次の会社に入った後は、40代でしたが、結構ヘッドハンターの方から連絡がありました。

さて、私が最後に努めていた広告のコンサルティング会社のでは、マネジメントでしたし、社員が少なかったので、求人広告をだしたり、ヘッドハンターと打ち合わせたり、また1次選考からすべてやっていました。日本のオフィスは社員20人程度の小さな会社でしたが、それでも本社へは今年何名採用をするという了解さえ取っておけば、実際の選考は日本オフィスだけでして良い状況でした。。もちろんマネジメントレベルは別ですが。中々、経験者のメディアプランナーが取れない時期に、何度かネットの求人広告を使いました。実はその前に朝日新聞にも出したのですが、条件が厳しかったためか確か3名しか応募がなく、採用できなかっと思います。

ネット広告での募集では100名は超える応募があったと記憶しています。東大を含め、素晴らしい学歴の方も多くおられました。すべての会社の選考基準ではないでしょうが、やはり学歴と職歴は大きなポイントでした。ただし、一流大学を出られた方でも、職につかず、居酒屋でアルバイトのようなことをされている人は、一次選考で外しました。リスクが高いからです。

ある程度絞り込んだ中では、学校時代、あるいは前職で面白い分析系のことをやっていた人をピックアップしていました。一言で言える何かがあると、私の上司だった外人の社長に説明がしやすかったわけです。英語はゼロというわけではありませんが、それほど絶対ではありませんでした。

そのあと、5名ほど選んで面接にはいります。私を含めた日本人のマネジメントと外人の社長の英語での面接です。これも一概にすべての会社とは言えませんが、規模の大きくない日本の外資系の広告会社の場合には、担当のディレクター、日本流なら局長レベルの日本人にあって頂き、そのあと副社長か社長の外人に合う程度だと思います。

私は、一番初めの外資系の広告会社以外は応募はなく、ヘッドハンティングか紹介でしたし、それなりのポジションでの選考でしたので、いきりない副社長レベルの外人の面接が多かった記憶しています。私の前の社長も言っていましたが、英語力はもちろんバイリンガルであればそれに越したことはありません。ただし、日本人のスタッフがとりたいというのであれば、英語については、何としても通じさせようという気持ちで積極的に話しをしてくる人。そして最低限度、こちらの言っていることが理解でき、ば良いと言っていました。

もちろん、前の会社でもバイリンガルに近い人もいればかなり不得意という人もいるというのが実際でした。それらの人も、入ってからの努力で、留学経験者よりはるかに伸びる人もいるわけです。

少し、長くなってきたので、今日のまとめを書くと、外資系の会社だといって、あまり大きな壁があると思う必要はないこと、もし数か月でも留学をした経験があれば、プラスTOEICなどで多少点数をとっていればちぇレンジする資格はあると思います。それ以上に大切なのは、英語以外に勝負ができる能力、経験を持っていることです。それさえあれば、決して外資系の広告会社でも十分に勝負ができると思います。みなさんチャレンジしてみませんか。

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英語が出来ない奴は外資に行け!⑦外資への転職

前回に続き、外資系の広告会社への転職について書きたいと思います。その前に、新卒で外資系の広告会社に入ることはどうかについて少し書きましょう。正直に言って、新卒で外資系の広告会社に入ることはかなり難しいと言わざるを得ません。なぜかというと基本的にあまり多くの募集がないからです。もちろん一部の広告会社では定期的に募集はしています。しかし大半の外資系の広告会社は途中入社の採用がメインとなっています。

いくつか、理由はあります。まず規模があまり大きくないことです。それに伴って、売上高の上下が日本の広告会社よりはるかに大きいことです。規模が小さく、リスクが高いので、1年前の新卒を採用するには慎重にならざるを得ません。逆に新しいクライアントがとれれば、すぐに仕事をしなければいけないわけで、ゆっくり育てる余裕もないわけです。

ご存知の人が多いと思いますが、欧米の広告会社は1業種1社が基本です。したがって、一度クライントとなれば、グローバルに一定の期間の契約を結ぶことが出来ます。その期間1年間あるいは2年間は安泰ともいえます。私が担当していたチョコレートのブランドはおそらく50年近くベイツという会社が担当としていたと思います。しかし一夜にして全世界で数百億円、日本でも数十億円取り扱いがゼロになってしまいました。ある意味100かゼロかです。そうなると100人程度の日本のオフィスでも数十人単位で解雇が行われるわけです。

そんなわけで、採用の時はリスクはとらないわけです。私も外資系の会社に3社途中入社しましたが、最初は新聞の求人広告、2つ目は、競合他社からの直接のお話、そして3番目は以前勤めていた会社の社長が新たに起こした会社からのオファーでした。

先ほども言いましたが、仕事がなくなることもありますが、突然数十億単位の仕事が舞い込むこともあります。最初の外資系広告会社では数十億(これはペットフードとチョコレートを合わした額ですが)、が一夜になくなり、それが新しい3社の広告会社が受け持つことになりました。3社とも明日から突然仕事をしなければいけないわけで結構焦るわけです。したがって、その時点では、私には3社からお誘いがありました。

結局メインのペットフードを担当することになった会社に入ることになりました。他のオファーをいただいた会社は日本のベスト3に入る広告会社でしたので、変な言い方ですが、外資系の会社に入るには、新卒より、途中入社の方がはるかに簡単と言えます。新卒ではとても入れなかった会社です。

そこまで大きな移動は多くはありませんが、広告会社の仕事は結構波があるわけで、突然忙しくなることもありますが、あまり大きなオフィスではないため、あまった人員もおらず、どうしてもヘッドハンターのお世話になるわけです。外資系の広告会社に移ったは30代前半でしたが、30代中ごろから40代中ごろまでは本当に多くの会社からお話をいただきました。

結局ヘッドハンターの方からのお誘いで転職をしたことはなかったのですが、最終面接まで行って御断りをしたことも3度ほどありました。また、その時の私の実力もそれほどまでには行っていなかったと思いますし、まして英語力と言えば本当にひどいものだった気がします。でもそれほど、取る側は焦っていたのだと思います。採用の基準はある意味広告実務の能力と英語力の相和で決めていたように思われます。私の場合には8:2で広告実務でとってもらえたと思っています。

しかし、その後、逆に採用する側になって、本当に苦労したこともありました。長くなりましたので、その辺の採用する側の話は次回にしたいと思います。

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英語が出来ない奴は外資に行け!⑥外資への転職

土曜日に2期生の方の結婚式に出席をさせていただき(本当素晴らしい式で感動しました)、その後学部時代のゼミのOB会に出席してきました。本当にゼミが好きだなと思いながら、でも好きなことをやっているのが一番と思って、週末を過ごしていました。

今日も2コマ講義はあったのですが、そのほかはひたすら卒論、基礎演、院生の論文を読んでいました。論文は読めば読むほど、赤を入れたくなるのですが、それというのも自分が多少なりとも評価する目を持ってきたためかもしれませんね。

久しぶりに英語のテーマで書くことにしましたが、はやり色々な会社での経験があったので、違う視点でみることもできる気がします。良い点、悪い点はあると思いますが、私にとっての転職は良かったと思っています。

さて、6回目を迎えるシリーズでこれまで、日本の広告会社のことばかり書いてきました。「外資で働け!」というくらいですから、今回から少し外資系企業での勤務について書いていきます。私が初めて、外資系の広告会社に勤めたのは、31歳頃だと思います。それまで6年弱勤めていた協同広告をやめ、オリコミベイツという会社に入りました。のちにベイツジャパンとかBSBジャパンなど色々名前が変わりましたが、大変良い会社に入れたと思います。

協同広告をやめた理由は前回も少し書きましたが、日本流の会社での文化的違和感もあり、仕事が遅いということで、複雑な思いで変わりました。因みに、やめる時、協同の局長さんが割と高さな日本料理屋さんに誘ってくださり、ひきとめてくださったことを思い出します。ちょうど結婚して、少したち、奥さんが毎晩遅くまで働くことに不満と言うか、心配をしていた頃で、ひきとめていただきましたが、移ることにしました。

きっかけですが、たまたま、新聞をよんでいるとオリコミベイツという会社の新聞の求人広告が目に留まりました。メディアにカクテルパーティ効果と言うがありますが、まさにこれです、自分の関心があるとか、関連するものは小さな広告でも目に留まるものです。たまたま、最初の調査会社の時にオリコミ(今はオリコムに社名が変わっています)の仕事をしていて、大変好印象を持っていた会社です。そんなわけで軽い気持ちで、応募をしてみました。

転職は、本当にタイミングですよね。広告会社に新卒で入ることは大変難しいのですが、協同広告でもオリコミベイツでも、筆記試験のようなものは全くありませんでした。英語の試験も、単に面接だけです。外資に入るなら、中途入社に限ります。もちろん、大手はわかりませんが、その後、今のビーコンやJWTからも来てほしいという話をいただきましたが、面接以外はなかったと思います。

英語は、面接のような時に使う英語と通訳で使う英語は違います。それにもまして、読み書きとは全く違うわけです。そういう意味からいって、外資系に入ることは、新卒の皆さんが考えるよりははるかに容易な気がします。

ただし、入ってから苦労をする、合わないと感じる人もいるはずですし、正直に言って、英語だけで勝負するのでは、かなりの英語力がなければ入れません。私の場合には広告実務があったのですが、とにかくそこそこの英語と、もうひとつ自信のある何かを持つことです。それがあれば、英語の自信のなさも、結構カバーできるものです。

話が長くなってきたので、次回も外資系への転職の話を少し書いてみたいと思います。

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英語ができない奴は外資に行け!⑤文化の違い

Facebookにも書かせていただきましたが、一昨日、学内で行われた研究大会、ゼミナール大会の決勝が行われました。おかげさまで百数十チームが参加した中の1位である最優秀賞を内のゼミがいただくことができました。昨年は1位というのがなく、上位3チームが優秀賞で表彰されたのですが、その中にも選ばれましたので、2年連続の受賞ということになりました。大変うれしく思っています。

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少しずつですが、論文の指導はこうすべきだということが見えてきた気がします。非常勤の時代を入れると8年指導してきたことになります。最初は、電通賞に応募することがメインであったこともあり、より、実務的な施策提案に重きを置いていたと思います。最近はより、社会的な意義や、一般化というような理論枠組みへの指導を強く言うようになってきた気がします。

この辺も研究界と実務界で、どのようなポイントを重視するのか、価値観の違いはあると思います。少し誤解を受けるかもしれませんが、文化の違いともいえましょう。内のゼミでは、関西4大学コンペにも参加させてもらっていますので、両方が学べる良い環境がある気もします。

さて、この文化の違いについて、国内の代理店と外資の代理店について少し書いてみたいと思います。

今日は12月24日クリスマスイブですね。クリスマスイブで私は忘れられない仕事上の思い出があります。それは、最初の国内の広告会社、協同広告でレゴ社を担当しているときの出来事です。その年、12月24日に主要なお得意さんをおよびして、忘年会+クリスマスパーティを近くのレストランを貸し切って行うことになりました。

これ自体は別に大きな問題はないですが、それが12月24日であったことでした。なぜこの日にしたかは全く覚えていませんし、おそらくたまたまであったと思います。お得意さんといっても国内のメーカーの方がほとんど、またそれなりのポジションの年配の方ですので、クリスマスといってもさほど問題ではなかったのだと思います。特に異論が出た覚えがありません。

ただし、レゴ社のトップはデンマークから来られた方です。当然、12月24日は家でお祝いをする習慣を持たれていたのだと思います。そもそも、その後外資系で多くの外人のクライアントや上司と仕事をしましたが、クリスマスイブに日本に残っている人はまずいませんでした。その意味からするとデンマークの方は大変まじめな方です。おもちゃ会社ということもあり、帰国せずに日本におられたと思います。外資系では、12月も20日を過ぎると大きな決定がなかなかできないこともあり、結構のんびりとした時間を持つことができます。

話を戻しますが、パーティは始まり、比較的早い時間にデンマーク人のレド社の日本支社長が変えられることになりました。別に気分を害した様子ではなく、単に早く帰って家でクリスマスを祝いたいということだったと思います。ご存知のようにクリスマスイブを皆で騒ぐのは日本ぐらいで、欧米では、大晦日のように家で静かにクリスマスイブを迎えるのが一般的です。

問題は、帰られることを私の上司の局長に伝えなかったことです。当然いろいろなクライアントが見えらえていましたし、レゴ社の社長も邪魔をしたくないということで静かに退席されました。しかし、そのあと、私は大変なお叱りを局長から受けました。「なぜ挨拶もさせずに返したのだ、ご挨拶しなかった非礼をお詫びをしなければいけない、すぐにケーキを持ってお詫びにご自宅に行って来い」という話でした。

ばかげていることは分かりますよね。さすがにこれについては、説得して行かないことにしました。決してこの局長は悪い人ではありません。しかしはやり、少し考え方が違っていたと思います。これは極端ですが、これに通じる文化の違いを感じることも多くありました。たとえば、同じ局長が私の先輩が腹痛で朝のミーティングを休んだ時「腹が痛いくらいで休むのではない、這ってでもでてこい」と怒鳴ったことも覚えています。この局長は決して悪い人ではなく、普段はとてもやさしく、多くの部下の人に慕われる面も多かったおもいます。

でも、私はあまりあわなかった気がします。英語が好きな人、短期でも留学した人の中の多くは、発想が欧米的なことを好む人も多い気がします。そのような状況ではやはり文化を理解できる、働きやすい環境で仕事をするのも良いと思います。

このあとペンタックスの仕事に変わるのですが、その中でも疑問に思うことは多く、6年勤めて国内代理店から外資系の代理店に移りました。文化の違いをよく理解することは人生を有意義に過ごすためにも重要だと思います。

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英語ができない奴は外資に行け!④

今日の日経新聞に社内公用語として英語を用いることの是非ついての記事がありました。楽天は、会議から社内資料まで英語で統一しているようです。一方アクセンチュアという外資系の経営コンサルティング会社はかつて1年半ほど、社内の公用語として、英語を用いていたのですが、現在は通訳をたて、会議等は日本語で行っているようです。アクセンチュアは6期の上嶋さんが勤められている会社ですね。

両方の会社のご意見に関してなるほどとうなずけるところは多いのですが、日本の会社と外資系の会社が逆なのが面白いですね。さて、このシリーズも4回目になりましたが、前提をお話しするのを忘れた気がします。タイトルだけみると、全く英語が苦手、あるいはできない人が外資系の会社に入るように勧めているように感じるかもしれませんが、実はそんなことはありません。少し詐欺のようですね。だいたい、新書などにも多く見られるのですが、タイトル通りというものはあまりありません。タイトルは短く、インパクト重視です。

さて、このシリーズを読んでほしい人は、①バイリンガルのように英語ができない人で、②1年間とか短期的に留学をした人、あるいは、留学はしたことはないが、結構英語が好きで勉強をはしているといった人です。アメリカから戻ってきたころのまさに私です。ほぼ1年間日本人の居ない町で暮らしていました。したがってカフェでお茶を飲みながら外人と話す程度にはできましたが、とても英語を駆使して重要な仕事ができるレベルではありませんでした。これはすでに話しましたよね。

私がアメリカに行ったころは1ドル260円程度でしたので、それほど留学する人も多くはありませんでした。今はずいぶん円が高くなったこともあり、結構1年程度の留学をされた方は多いと思います。ゼミでも毎年数人はおられます。高校時代に行かれた方は多少良いのですが、私も含め大学以降に1年程度行かれた方は、それほど急激に伸びるわけはありません。でも1年留学したと皆に見られるし、留学中はそれなりに、日常会話はできたとおもっておられると思います。

実際どのくらいおられるかはわかりませんが、結構多いと思います。そのような方に外資系はお勧めできるという話です。外資系といっても本当はピン切りなので、私がイメージしているのは、基本、日本人が大半で、外国人の方は、役職者を含め比率的にはそれほど多くないという会社です。そして全く英語のできない人も部署によっては多少いるというイメージです。

特に外資系の広告代理店では、通訳の方が結構おられました。クリエーターの方などで、英語だけで採用するととんでもないことが起こります。本当にデザインの勉強したことあるのと言う感じや、制作の現場経験あるのと言いたくなる人にも出会いました。そんなわけで少なくとも私の勤めていた会社にはクリエーティブ部門を中心に、またメディアの人も助けるために通訳の方が何名かおられました。100名以下のオフィスでしたが、それでも2名程度は常におられたと記憶しています。

一方私の勤めていた協同広告ではその当時300~400名程度の社員が働いていましたが、外人の社員もおられませんでしたし、専門の通訳の方もいませんでした。国際部に所属しているアメリカの大学を出られた方と、1年程度の留学経験を持つ新人(私)、そして英語は好きだが留学経験のないプランナーの先輩の三人という状況でした。

実は、その当時でも他の部門では結構英語のできる人はおられたようです。でも他の部門の手伝いをしてくださることもなく、おかしな英語を使っている新人がいると離れた所から苦笑いをしている状況だったような気がします。何か、悲惨な過去で、愚痴を言っているように聞かれるかもしれませんが、実は今の私がいる、そして次の外資系の広告代理店を首にもならずに勤めることができたのは協同広告での広告実務での勉強があったからだと思っています。

少し長くなってきましたね。本当は、国内の代理店と外資系の文化の違いについて書きたかったのですが、それはまた2~3日中に続きを書いてみたいと思います。

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英語ができない奴は外資に行け!③

前回に引き続き、今回も協同広告時代の思い出を書きたいと思います。前回も書きましたが、英語がたいしてできない私にとって英語のリクエストの多い国内の代理店はかなりのストレスのたまる職場でした。今でも思い出すだけで冷や汗が出てくる仕事があります。提携しているレオバーネット社の副社長がお見えになった時のパーティです。

片言でも英語のできる人がほとんどいない会社ですので、皆さん通訳に期待をかけます。英語のできる会社なら違う対応だと思います。プロの通訳を野党と可です。仕事で使うレベルがどの程度かがあまり理解されていない会社では、国際部イコールなんでもできるという勘違いをされます。副社長夫婦が来られた時のパーティで通訳をやらされました。私は奥様の横についてこられた方が次々に話をされることについてどんどん訳していくわけです。100人以上のパーティでそれは結構大変な仕事でした。

仕事といってもパーティですし、多少間違って訳しても大きな問題はないはずです。今考えれば、もう少し気楽にできたと思いますし、どうにかなったと思います。ただし、その時は、とにかく一言一句しっかり訳さなければという強い気持ちがあり、ぐたぐたになったしまいました。次の日、ご夫妻がテニス好きで一緒にテニスをすることになりました。国際部の先輩とダブルスの試合をしたのですが、その時はとても楽しいテニスでしたし、会話だったと記憶しています。片言の英語でも結構楽しく会話はできるものです。通訳のポイントは、全部正確に訳そうと考えないことだと思います。

このようにかなり厳しい国際部時代でしたが、今考えると良いこともありました。というのは英語のレベルに比較すると英語にかかわる結構大きな仕事にも携わらせてもらったということです。副社長の接待もそうですし、その後移ったレゴブロックの仕事では入って一年もたっていないにも関わらずデンマークにも行かせてもらいました。この旅行も大変でしたが、良い勉強になりました。前にも書きましたが、国内の代理店で厳しい状況であったがゆえに、その後も少しだけは英語を勉強しようと思い続けたと思います。そういう意味では、こういう環境にいたことを全くネガティブに考えるべきではないですね。

協同広告での英語に関するもう一つの思い出は、レゴブロックの担当の時に起こりました。デンマークの本社サイドではグローバルに担当する広告代理店を使うべきと思っていましたが、日本支社ではその外資の代理店を使わずに協同広告を長年つかっていました。ただし、本社サイドはあまり評価をしていなかったのか、ある時競合コンペになってしまいました。相手は外資系ではなく博報堂でした。コンペになったこともあり、外資系の対応ということで、コンペの少し前に元電通という方が部長職でチームに入ってこられました。英語もできるし元電通ですのでかなり期待していました。

プレゼンの中身は私と先輩がほとんど作ったと思いますが、その上司Sさんを信じて、プレゼン当日を迎えました。そのプレゼンに参加した私は耳を疑いました。まるで教科書でも読んでいるかのようなプレゼンでまるで真意が伝わるようなものではありせんでした。あとで聞いたのですが、このSさん電通では長年経理畑でこのようなプレゼンの経験もなく、また実践的な英語を使ったこともなかったようです。本当に怖いですね。私がプレゼンはリハーサルだ!といつもいっているのもこの時のことが頭にあるからです。結果はもちろん仕事を失いました。因みにその後、何年かして協同広告はレゴ社を取り戻すのですが、それは英語がさほどできない私の1年先輩だった堀口さんの功績です。

プレゼンは、その内容が頭にしっかり入っている人が行わないと大変なことになります。これは日本語でも同じですが、英語は特にそうですね。英語より、まず内容の理解です。

こんな大変な日々を送っていたのですが、レゴの仕事が終わってしまったことで、その後はペンタックス担当になり、協同での私の英語との接点はほぼなくなりました。その後ほぼ3年間ペンタックスを担当するのですが、不思議なもので、あれだけ苦労していた英語ですが、全く使わなくなると少しもったいない気がして、次の会社では外資系を選びました。外資系の広告会社での話は次回にすることにします。

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英語ができない奴は外資に行け!②

前回スタートしたこのシリーズですが、今回は、アメリカから戻って最初に入った国内の広告会社、協同広告での英語とのかかわりについて書きたいと思います。通常、固有名詞は名前をかえたりするのですが、特に問題のある内容でもないので実名で書いていきます。もし関係者の方で、問題があると感じることがあればお知らせください。またかなり古い記憶ですので、若干記憶違いもあるかも知れません。ご了承ください。

私の最初の広告会社は、協同広告という会社でした。現在はフジサンケイグループの傘下にはいり、私のいた頃よりはだいぶ規模も小さくなったようです。私がいたころ、25年も前になりますが、その頃は確か13位程度で社員も300名以上はいたと思います。典型的な中堅の代理店で、俗にゆうミニ電通という感じで、何か特に強いところもないし、系列にも入っていませんでした。

私が入るだいぶ前にはベスト10にもはいっており、業界ではそれなりに知られていました。今はビーコン・コミュニケーションになっていますが、かつてのレオバーネットという老舗の米国の代理店と提携をし、レオバーネット協同という会社を作っていました。今もあるかも知れまんが、協同広告もグローバル化を進めるために海外の代理店と提携をし、別会社を起こしました。その影響で、そちらに英語のできる人が移ってしまい、外資対応が手薄になっていました。私が入社をした時、直前まで新聞部に所属している1つ上の先輩がすべての会社の英語で行う仕事をしていたようです。

今はお亡くなりになりましたが、当時の関口社長がかなり英語のできる方で、偉い方の対応は社長、他の業務はその20代の先輩が一手に引き受けていました。それでは、まずいだろうということで、急きょ国際部を作ったわけです。その先輩と私、そしてマーケティング部で多少英語のできる30代の方の3名でスタートしました。

といっても特に仕事もなく、英語のできる先輩はいくつかあった外資系のクライアントの通訳、マーケティングの先輩はそれまでのプランニングの残務を中心に仕事をしていました。私はというと、特に仕事もなく、スポルディングなどいくつかのクライアントの請求書を英語で打つ仕事をしていました。その当時はまだパソコンがそれほど普及をしておらず、その都度英文タイプで打つ仕事がありましたので、真面目にそのような仕事をしていました。

と言っても、時には英語を使う仕事も来ました。1つ上の先輩が他の仕事で外出をしているとピンチヒッターで急きょ通訳を頼まれることがありました。正直、1年アメリカに言っていたからといって通訳などできるわけもなく、また特に仕事をしていたわけではないので、散々な状況でした。英語のできる人が多くない企業の人は、少し英語ができる人がいると、すべてのその人がペラペラに英語がしゃべれると思われるようです。一番厳しかったのはノルウェーサーモンの会社が来られた時です。

魚の名前など知るわけもなく、しどろもどろになっていたのですが、実は通訳を頼んできた担当の人の方が単語などは良く知っており、私がいなくても全然問題はなかったようです。日本の会社の悪い点ですが、結構英語のできる人が多いのですが、自分は国際部でも担当でもないので、使う必要もないという言い訳をして、誰かに頼もうという気持ちが強いと思います。グローバル化が進む今の時代は多少違いはあると思いますが、それだからこそ、自分が国際担当でなくても、積極的に取り組むべきですね。

ということで、まだ国際部では大変なこともありましたし、それでも何とかしなくてはという気持ちで過ごしていました。そのあたりについては次回でもう少し書いていきたいと思います。

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英語ができない奴は外資に行け!①

このブログは、広告に関することをOBを含む私のゼミ生に伝えようと思ってスタートしたものです。2009年の10月が最初ですので早いもので、もう丸2年が過ぎてしまいました。最初は毎日書いていたのですが、最近は良くて一日おきです。広告のネタも中々思いつかない状況です。

ということで、違う切り口の話を少し混ぜていきたいと思います。私の人生においても結構重要な役割をもつ、英語について少し書いていこうと思いました。タイトルだけみるとベストセラーのような感じですが、これは正直な私の気持ちです。外資とは外資系企業のことですが、大半の皆さんがご存知のように、私は15年以上も外資系の広告会社に勤務していました。おかげさまで、その間首にもならず、ある程度順調にポジションもあがって行きました。

それほど英語ができのかというば、驚くほどできません。特に今はひどいのです。外資系の前の会社を辞めて丸6年ほとんど使っていないことをひいても、外資系に勤めていたというが恥ずかしい状態です。これは、もともとの才能のなさ、英語との相性のなさが原因だと思います。

外資系の代理店では、上司外人部下外人の中ではたいたり、今も曲がりなりにも大学に教員をしていますのでゼロではありません。しかし本当に中途半端な状態です。その辺りのことを高校時代までさかのぼって書こうかと思ったのですが、それでは、肝心の話にたどりつくのがいつになるかわからないので、順番は無視しして、タイトルの意味がどういうことなのかあたりについて少しずつ書いていきたいと思います。

私が最初に入った市場調査会社は全く英語を使う環境ではありませんでした。よく、イカ弁当屋さんの2階にあったという話はしたと思います。大変勉強にはなりましたが、英語とは無関係でした。2年9カ月勤めて、これからは英語が必要だと思い込み、アメリカに一年行きました。最初の3カ月はカリフォルニアで私の人生で最も楽しい時間をすごしました。残りの9カ月はノースダコタという州のコミュニティカレッジに通っていました。

この学校に入るのも実はTOEFLは受けていません。これもいい加減な話ですが、フランスのビジネススクールに入る時もTOEICもTOEFLも受けていません。今度なぜ英語の試験を受けずに合格したかの話は書きたいと思います。

アメリカの学校で1年過ごし、その後留学帰りとして国内の広告会社、協同広告に入社しました。最初、国際部に所属をしたのですが、ここでの仕事は本当に大変なものでした。少し話が長くなってきたので、この続きは次回にしたいと思います。広告の話ではありませんが、よろしくお願いします。

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